Friday, July 29, 2011

Your smiling face -日本語版 (再掲、訂正版)

一つ前の記事の、伝えたいことだけ、日本語にしてみました。
(私は翻訳が苦手なので、逐語訳ではありません。)



地震以来ずっと会えていなかった福島出身の後輩と会って、思ったこと。


あの日、大きな地震に見舞われて。
ふるさとや家の元の姿を失って、とても傷ついているだろうに。

後輩の笑顔は純粋で、輝いていた。
私の心にあった今までの不安を全部払拭してくれた、キラキラの笑顔。

会ったら絶対、笑顔で迎えようと思っていたけれど、涙のほうが先に出てきちゃった。
そんな私に、彼女は元気をくれました。
被災地の方は、弱音も吐かず、強く生きている。話には聞いていたけれど、
実際に触れ合って、やっと理解できた。

そんな彼女でも、地震当時は笑ってなどいられなかったという。
詳しくは聞けなかったけれど、困難な日々が長く続いたそうだ。
そして今、福島県は(口にはしていなかったが、恐らく彼女も)
酷い風評被害に苦しんでいる。
福島から避難してきた子どもたちが、避難していった自治体の学校で
いじめられたり、出荷制限の出ていない野菜までが売れなくなったり。

なんだかんだ言って皆、自分がかわいいのが人間だから、
自らの安全のために、飲食料に気を使うのは理解できる。
誰を信じたらいいかわからないのも、わかる。
だけど、福島から来た、というだけでいじめ?差別?
それは、理解出来ない。

自然災害でこれでもか、というほど傷ついている人たちを、
さらに傷つけようとするのはどうしてなのか。
自分が被災した側だったら?
自分が出身県だけで差別されたら、って、考えられないのかな?


私たちは、目の前の情報を鵜呑みにするのではなくて、
何が正しくて何が間違っているのかについて、答えは出せなくても、
最低考えることくらいはするべきだと思う。


無事学校に戻ってきてくれた後輩。嬉しさと安堵のあまり抱きつく私に彼女は、
「そんなに心配してくれるの先輩だけですよ〜嬉しくて涙出ちゃう」と。

ヘルニア持ちの私は、力仕事が必要なボランティア活動に参加できない。
貧乏学生の私は、義援金支援ですら十分にできない。
そして、様々な理由でボランティアも義援金支援もできない人は、私だけではないと思う。

けれども、
ボランティアできなくたって、お金が出せなくたって、
何かできることはあるはずです。
うんと小さいことかもしれないし、
直接東北の方々を助けられるものではないかもしれない。
でも、それでも、できることはある。


正直、こんなちっぽけな人間になんて、所詮は何にもできないよ、と思っていました。
でも、たった一通のメールや、ただ一回の抱擁でも、
誰かのこころの支えになることができるんだな、と
後輩のおかげで気づくことができました。

ちっぽけな私。その私にできることは、何か。
どんな小さなことでも、それが誰かの傷ついた心を癒せるなら。
「私にできること」を、探し続けていこうと思いました。


さよ

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