Monday, March 17, 2014

現在メディア界隈を賑わせている論文盗用に関連して【個人メモ】

あくまでも個人のメモ。
(久しぶりにブログでも書いてみるか、と思い、別SNSに掲載した短文の切り貼りをしただけ)

大学院まで出て情けないが、私は今回の事件について、引用のちゃんとした仕方くらい教えようよ日本の義務教育でさあ、という中身のない批判しか言えない。

ただ、とりわけ初等教育での作文指導への批判が昔から絶えずあることと絡んで思ったことがいくつかあるので、つらつら書き留めておくことにする。

私が児童だった頃からそうだったが、例えば夏休みの宿題として出た作文などを「コピペ」する輩は少なくなかった。
パソコンも、ケータイすら個人ではごく少数しか持っていなかった時代、もちろん「コピペ」なんて言葉はなかったわけだけど、「コピペ」同然のことはずっと行われていた。

「読書感想文?あぁ、本に書いてあったこと全部丸写しして、あと自分の考えたこと足しといたよ」
「作文?親に全部書いてもらったー。」

こんな会話が、毎年の長期休み後(あるいは長期休みが終わる直前)に飛び交っていた。
そしてそういう輩が「コピペ」あるいは他人に書かせた文が他人の文章だったことを先生に指摘されていたという記憶がない。

例えば小学校時代に「コピペ」の常習犯で、先生に指摘してもらえず「コピペ」が当然やってもよいことだと思い込んだまま大人になった人は、その概念を捨てるのにもその行為をやめるのにもすごく時間がかかると思う。今までは他人の文章を切り貼りしたところどころに自分のことばを入れればそれで先生からOKが出たわけだから。

少し頭のいい人だと、先生に丸写しがバレないようにとコピーした本文そのものの一部も自分の言葉に直したりする。これは一見、書いた文を自分調に変換する能力(パラフレーズ能力)が身に付くのでアカデミック・ライティングに有益なように思われるが、結局他人の文章を引用なしに使っているわけで、その時点ですでにご法度。しかも丸ごと持ってきた文章の一部だけを断りなしに改変するのは引用の作法を完全無視していることになる。理由は、どこまでが他人の書いた文章でどこまでが自分の文章かというのは読む側にとっては明示されていない限りわからないから。
ちなみに出典を明記した上でちゃんとした表記方法を守れば、他人の書いた文章の一部を丸ごと持ってきて引用することは可能である(全部ではない。そもそも全部持ってきたら、その時点で自分が書こうとする文章は自分の文章ではない)。

高校の教員だった頃にも散々感じたが、学校教育は「文章をどう書くか」という指導に時間をほとんどかけない。中にはそもそも教えられるだけの文章能力がない先生もいるし、せっかく高い文章能力を持っている先生がいても、(そういう先生は大抵重宝されてお忙しい上に)学校教育のカリキュラムの中に「アカデミック・ライティング(日本語)」の時間は組み込まれていない。

「文章をどう書くか」という指導自体は、いわゆる「作文」を課したときに先生がちょっと説明を入れるだけで大改善ができると思う。
例えば引用に対してなら、「人の文章はね。使ってもいいけど、その時は、誰が書いたどの文章を使ったのか、ちゃんと書くんだよ。」という説明と、どうやって自分の文章と人が書いた文章を分けるかの基本(基本は本当に簡単)の説明さえすれば、少なくとも(専門用語は知らなくても)「引用」の概念くらいは児童生徒の頭に入るだろう。
時間があれば、例えば小学校の読書感想文でよく使われる
「『■■■■』という本の中で、○○さんは『××××××』と言っています。でもわたしはこう思います。」
というような文は基本的にどんな作文でも使えて、いくつかパターンもある、ということまで教えたら、小学校レベルは十分なのではないか。さらに引用の際に使える文のパターンリストなんかも作れたら、(その文体が稚拙であったとしても)あとあと非常に役に立つだろう。

さんざん批判されている文章構成についても、マインドマップの作り方を伝授したり、基本的な文章構成の型(導入→本文→結論)を明示してあげるだけでもずいぶん変わると思う。

日本の作文指導は、さも型を与えるのが悪いかのように例文や段落の型を与えるのを嫌っているように思える。(実は教科書には作文の書き方など、細かく書かれているものも多いがスキップされてしまう。)なぜかさっぱりわからない。高校レベルまで行くと、作文から突然小論文を書かせられることもある。作文と小論文の違いも教えられず、どう書いたらいいかもわからずにとにかく高い金を払って小論文模試を受ける(模試という実質上の外注なのは、後で述べるがおそらく先生方が一枚一枚生徒の解答を確認する時間がないから)。「良い」とされている型がすでに存在するのに、その型を自分で探せというのか?それは非常に非効率的なことだと思う。

ちなみに私も高校で作文指導を少し担当したが、時間の関係(と求められていた作文の種類)で引用作法までは話せなかった。マインドマップを使い、ある程度構成にまとまりのある文章を書くことまで伝授して終わった。そして、一人ひとりの作文を念入りにチェックして、それぞれのライティングスタイルに合わせて教えるには、作文の時間は短すぎた。

そう、問題は、方法を伝授したあとなのだ。伝授したあと、それができているかフィードバックを返す時間が圧倒的に足りない。

今の学校教育現場の現状としては、
1.教員が雑務、部活、生活指導、教材研究などに時間をとられ、一人ひとりの作文をじっくり添削する時間がない。
2.そもそも教員の中にもちゃんとした引用作法を知らない、あるいは引用がいかに大切なものかを認識していない人が多い。そして
3.教員含め公務員が作る書類はほぼコピペで作られているゆえ、教員は自分の文章と他人の文章を区別しなくても良い世界に住んでいる。

これが大体の学校で起きていることだと思う。
3.については作文指導と直接関係はないが、教員が扱う書類はほとんど雛形や文型が決まっているので、自分のことばを使った文章を生み出す必要性はない。要は教員が「まとまりのある文章を自分のことばで書く」機会はあまりない。
(上で言う教員とは、国語科以外の教員も含む。個人的には、「文章をどう書くか」の指導はどの教員も担任を持ったときにやるべきことだと考えている。)

上記の「文章を書く指導」ひとつとっても、世間で騒がれていて現場の教員に批判が降りかかっている教育の諸問題をよく見ると、結局カリキュラムやシステム自体をどうにかしないとどうにもこうにも変わらないもののほうが多い。
自分の時間を削り、身体に鞭打って頑張っておられる先生方もいるが、なんとも悲しいことに、システム自体が変わらなければ、真面目すぎるとバカを見る世界が続くのだ。

つまりここでぐだぐだ言っても何も変わらない。だからこれ以上このことに言及するのはやめておく。

子どもは大人のやることを見て育つ。
基本的に大人がやらないことを子どもはやらないし、大人がやることは子どももやりたがる。それがラクできることならなおさら。
今回の事件は、おそらく(社会の)大人たちがやることを子ども、あるいは学生のときから見てきて、やってもバレない、大丈夫だと思ってやっていたら大変なことになった、というのが核心なのだろうと個人的には思う。

Monday, July 23, 2012

時は流れて/ツイートとtweet

「書く」ことやうやう億劫になりていとひさし。
古文もしばらくやらなかったらすっかり忘れてしまいました。昔は好きだったのに。
(国語教師でないので誤りは勘弁してください)


最後にこのブログを更新してからかなりの時間が経ってしまいました。
子どもたちの運動会が終わったあとは受験生の家庭教師と自分の修士論文で手一杯になり、その他数多持っているブログもどんどんと更新回数が減り、今に至ります。


ちなみに修士論文は途中何度も投げ出しそうになりましたが、英文95ページ、付録も含めると108ページの大作となり、無事完成・提出することができました。
3月にはコミュニケーション学の修士号を修得。無事卒業いたしました。


また、修士論文への先駆けとなったレポートが審査を通り、マレーシアで行われた学会で発表することができたのもとてもいい思い出になりました。そしてオマケで論文出版デビューもしてしまいました(!)。
https://sites.google.com/a/kliuc.edu.my/lancomm2011/
E-proceedingsという形ではありますが、アジア圏の多くの研究者たちが名を連ねる中に私の論文も入っているのだと思うと、素直に嬉しいです。それもこれも全て指導教授のおかげなのですが……。彼には感謝してもしきれない。


残念だったのは、修士論文で満足してしまって方言の研究を続けなかったことですね。
故郷を離れて久しく、また地元でも普段はほぼ標準語に近いことばを話していたため、私の中の語感も狂ってしまいました。群馬県の方言も入りたい放題入ってくるし、言語形成地としての長野県の方言をやるのはもう限界なのかもしれません。まあ、そんなこと云々の前に今となってはもう時間がないのですが…。
もう少し今の仕事に慣れたら、修士論文のほうの延長線で研究を再開しようと思案中です。最近になって関連する面白い資料を見つけて、また研究心が宿ってきたように感じます。その研究心が、忙しさに負けてしまわなければいいのですが。

Time flies...

It has been a while since I posted the last entry.
My school life is over now. In March, I completed the graduate school and got a master's degree.


I had to say goodbye to my kids at work as I got a new job. It was very hard to do so, but I had no choice. After all, it was I that decided to choose my current job over the kids. In May, I visited their classroom for the first time after the good-bye. Kids all remembered me. And as soon as they saw me, their faces shined with smiles. That was enough for me. I had always wanted to give them an impression (in any ways). I saw the result on that day I visited them. I will not be sad any more. I still miss them, but I'm sure I will stay in their hearts, and that they will stay in my heart forever.


So, I got a new job, and that means I got a new batch of kids. This time though, they are a little bit older than the last ones. You know what. Only three months have passed since I met them for the first time. But I love them. Already. They are all cute and nice and awesome. Although almost all of them have various kinds of difficulties and problems in their lives, they are strong and tough. The principal once said to us the teachers, "How many of the Japanese kids out there can be strong and tough like our students?" I honestly think that I can't beat my students when it comes to toughness. They are all great on that.
Loving the students and educating them are two completely different things, however. It is fun but a bit difficult time to time to deal with the current kids because they are right in the stage of becoming adults. I feel that scolding a student is the most difficult. You want to tell them they are doing something unacceptable in society (disturbing teachers/other students in class by chatting loudly, for example). You want the student to be socially acceptable. But meanwhile, you get scared of breaking the good relationship with them. I have been trying some ways of telling them off efficiently and unemotionally. Things are not that easy though. I hope someday I will find my own way.


And here comes the summer vacation again!
(Teachers of course get less holidays than kids do.)
I am very sad for the fact that the students will not show up for over a month. But it is also true that I had been looking forward to the summer holidays for so long.
My little siblings are longing for me coming back in Nagano. I'd like to visit my grandfather in hospital. I want to have educational discussions with my father. A big bag of freshly ground coffee will make my mother happy. There will be a very big event for me too......coming soon. This summer will be busy as usual. But surely enjoyable it will be!

Monday, September 19, 2011

Sports Day in Gunma

Yesterday was sports day at many elementary schools, including my old school in Nagano which now two of my younger siblings go to. Since I had a private lesson at night, I gave up going to see my siblings' sports day. Instead, I decided to go and see ones of my little juku kids in Gunma.

Friday, August 26, 2011

Busy busy!

My summer is almost over...

I have been having a busy summer as usual. I don't know why my summer is always busy. I guess it's just summer that is busy.

Blog topic line-up: Eleven-day-trip to the United States

From August 2 to 12, I visited the West Coast with (part of) my family (for those who know me well, you probably understand how hard it would be for the entire family to travel abroad).
The trip started from San Francisco, and we traveled up and down, but slightly going toward North to the final location, Seattle.

It was just a trip this time, but my geeky brain about languages was active all the way from the beginning to the end.

In a week (I hope) I will be posting some of the experiences and funny things I encountered during the trip.
I shall stop here for now though, as I actually have something else to write...