昨日、麒麟の漫才を見ていて気づいた。
関西方言って、語彙レベルだけじゃなくて文法レベルでも東京方言と異なるんですね。
今さらかもしれませんが、方言学に詳しくない私にとっては新鮮な発見でした。
私が気づいたのは、
可能の意味の、「れる・られる」の否定文内での使い方。
麒麟って私のお気に入りの漫才コンビなんですけど、
その麒麟のツッコミ役の田村さんが、相方の川島さんに向かって、
「なんでゆずられへんの!!」
って連発してるんですよ。
何回か聞いていて、あれ?おかしいな、と気づきました。
東京方言では、「ゆずることができない」を「れる・られる」を使って表現すると、
「ゆずれない」
です。
「ゆずられない」
には絶対になりません。
個人的には、なんだか変な敬語の使い方だなあ〜と思ってしまいます。
つまり、東京方言と関西方言では、
「れる・られる」の活用形に関してのルールが、ちょっと違うらしいのです。
どう違うか等の細かい部分は、漫才ひとつだけを観察していた限りではキャッチできませんでしたが...
気づいたとき、うわあ、すごく面白い!と思いました。
この機会に、方言学もちょっとかじってみたいけど、そこまで時間があるのか...?
さて、この「ゆずられへん」をずっと聞いていて、
ふと思ったことがあります。
(これだけ「られ」「られ」って使ってるから、「ら抜き言葉」の使用頻度は東京方言よりも少ないのかなあ)
と、いうことで、
ら抜き言葉が語られる際に取り上げられる主要な語三語の「れる・られる」活用形を
Google検索で調べて、東京方言と関西方言で”ら抜き”の使用頻度を比較してみました。
今回調べたのは、
「見る」(一段動詞)「食べる」(一段動詞)「来る」(カ変)の三語の活用形:
「見られない」
「見れない」
「見られへん」
「見れへん」
「食べられない」
「食べれない」
「食べられへん」
「食べれへん」
「来られない」
「来れない」
「来られへん」
「来れへん」
以上12項です。
普通に検索すると、ら抜き言葉云々の説明のページまで出てきてしまうので、
話し言葉に近いと思われる「掲示板」(BBS)内に検索の的を絞りました。
さて、どうなるでしょうか。
ということで、以下に検索結果を載せます。
「見られない」約 518,000 件
「見れない」約 1,020,000 件
「見られへん」約 43,100 件
「見れへん」約 2,780 件
「食べられない」約 230,000 件
「食べれない」約 135,000 件
「食べられへん」約 22,900 件
「食べれへん」約 502 件
「来られない」約 611,000 件
「来れない」約 161,000 件
「来られへん」約 11,900 件
「来れへん」約 699 件
(いずれも2011年5月6日午前10時現在)
「見れない」「食べれない」は、「見られない」「食べられない」と比べると
かなり普及しているようです。
特に「見れない」が「見られない」の頻度の2倍にもなっているのは顕著です。
「食べれない」も、「食べられない」の頻度の2分の1の頻度で使用されているようです。
その一方、「見れへん」「食べれへん」と「見られへん」「食べられへん」を比べると、
「見れへん」「食べれへん」は、極端に頻度が少ないのが件数からわかります。
「食べれへん」に焦点を当てると、
先ほど「食べれない」は「食べられない」の2分の1の頻度だったのに対し、
「食べれへん」は「食べられへん」の頻度の45分の1...。
同様に、
「来れない」「来られない」の対比が約1:4なのに対し、
「来れへん」「来られへん」の対比は1:17です。
この結果だけを見ると、
関西方言におけるいわゆる「ら抜き」は、東京方言における「ら抜き」よりもかなり頻度が少ないらしいということがわかります。
どうやら、
(これだけ「られ」「られ」って使ってるから、「ら抜き言葉」の使用頻度は東京方言よりも少ないのかなあ)
という私の予想?はあながち間違いではなかったようです。
ただ、今回はただのやっつけ仕事で、Google検索しただけなので、
もっとしっかり研究すれば、また違う結果が出てくるかもしれません。
ことばって、少し敏感になると、面白い現象がいっぱい。
大学院に来てからはちょくちょく
こういう、研究するには至らないけれども気になる現象を発見しては、
ひとりでまたは先輩に手伝ってもらって調べる、なんてことをしています。
みなさんも、普段使っているじぶんの言語に少し注目すると、
何か面白いことがわかるかもしれませんよ。
さよ
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